蚊帳生地とは
伝統ある奈良の蚊帳織りと特産品「蚊帳生地」の歴史
蚊帳を見る機会は少なくなりましたが、目の粗い独特な蚊帳生地は身近な製品に形を変え、接していることはご存知でしょうか?
日本の蚊帳生地の歴史は『日本書紀』に記されている応神天皇の時代(西暦270~312年)までさかのぼります。中国の呉から蚊屋衣縫という蚊帳作りの技術者が渡来したことが始まりといわれ、奈良時代から貴族の住まいで絹の蚊帳を用いた絵が描かれた書物が見つかっています。室町時代になると「奈良蚊帳」と呼ばれる蚊帳が貴族や武士の間で贈答品などに使われた記録(『大乗院寺社雑事記』など)が残っています。
そして、江戸時代に奈良は麻を用いた伝統的な上布である「奈良晒(ならさらし)*1」が「南都改」の朱印を受け、幕府の御用達品として認定されるようになると、奈良市東部地域で麻の栽培も盛んだったこともあり、麻を原料にした蚊帳生地が織られるようになりました。しかし、麻の蚊帳は高価なため使用するのは上流階級に限られ、普及するのは明治時代に入ってからになります。一方、多くの一般庶民には麻ではなく安価な木綿や紙製の簡易な蚊帳が普及しました。木綿の蚊帳は、日本で初めて綿花が栽培され*2「大和木綿(やまともめん)」や「大和絣(やまとかすり)」という長年培われた綿織物の技術と、麻の蚊帳の織物技術があった奈良で発祥しました。綿の蚊帳生地の誕生は奈良蚊帳にとって画期的な出来事であり、安価で実用性に優れたものとして徐々に販路を拡大していきます。
明治時代から昭和の前半まで、蚊帳の需要増加と共に蚊帳生地の生産量は大幅に増え続け、生産性を上げるために機械化が進められるようになりました。奈良県中部では蚊帳生地を製織するノコギリ屋根の機屋が増え、シャットル織機の音があちこちで鳴り響く一大産地となりました。昭和36年には業者92、織機4,250台、全国の1.3%を占め、年間22億円を生産*3していました。昭和の終わりになると、農薬の散布や殺虫剤等による蚊の発生抑制で環境衛生が良くなり、建築様式の和式から洋式への変化とクーラーなどの普及により、生産量が大きく減少し、産地として衰退していきます。
その中で、培われた蚊帳織りの技術を活かし、蚊帳生地を重ねた「布巾(ふきん)」、織物ふすま紙の紙と貼り合わせる「襖地(ふすまじ)」、農業用の「寒冷紗(かんれいしゃ)」、自動車シート用難燃補強基布、フィルター基布、ハンプ、網戸、床材基布等の産業資材、ストールなどのアパレル生地など各社工夫を凝らし蚊帳生地を様々な製品へと進化させています。
*1:『日本山海名物図会』に「麻の最上は南都なり近国よりその品種々出ずれども染めて色よく着て身にまとわず汗をはじく故に世に奈良晒とて重宝するなり」と高く評価されています。
*2:大蔵永常が天保4 年(1833)に執筆した『綿圃要務』のなかで、「綿を作ることは此大和国に始て作り」と記されています。
*3:参考文献 最新奈良県地誌 福井甚一郎 著 昭和36年9月15日発行
製品情報
PICKUP 企業
従来の内装織物に限らず、
製織技術と企画力を活かした
新たな分野の新商品開発に挑戦。
上島織布工場
四代目 上島 雄二
輸入品であった織物はシルクロードを通り日本に伝わったといわれています。日本文化には「繊細」「丁寧」「工夫」の特徴があり、輸入された織物も絣、ちぢみ、紬などの染め織へと日本独自の進化を遂げ、衣類や生活雑貨などに形を変え愛されて続けています。一方、優れた進化を遂げながらも目にすることが少なくなってきた織物もあります。当社はそうした現状を改善すべく、約100年織物に携わってきた「織物のプロ」として優れた織物の日本文化を世界に伝えていくことを使命に、従来の内装織物にとどまらず、新たな分野の商品開発にも挑戦しています。…(続きへ)
続きを読む蚊帳織り技術の新たな可能性を探って
立ち止まることなく、挑戦は続く。
笹田織物株式会社
代表取締役社長 笹田 昌孝
明治44年の創業以来、粗目の織物を製造。大和絣から始まり、蚊帳生地、大和木綿、そして現在は襖紙用・壁紙用の織物を中心に手芸用織物や服飾雑貨用織物も製造しています。こうした半製品に加え、得意な蚊帳織り技術を活かしたストール、ふきんの製造販売も手掛けるようになりました。織物職人の確かな技術による誠実な物作りで、信頼していただける製品の提供に努めています。…(続きへ)
続きを読む蚊帳生地織物を多くの方々に、色々な用途にと
思いを込めて織っています。
株式会社三広織布
代表取締役社長 上島 清
昔から織物の奈良の産地として多くの会社が有りそして繊維の町、広陵町で、三代に渡り「MADE IN JAPAN」にこだわり、生地を製造しています。当社はふきん生地(蚊帳生地)のエキスパート会社として、奈良の有名ブランド企業と深い信頼関係で結ばれています。又、創業60年にわたって、蚊帳生地の使用用途の固定概念を変えて、さまざまな用途にも使用できるよう柔軟に対応しオリジナル生地を製造しています。…(続きへ)
続きを読む誰もが満足できる「本物」を作り上げ、
お届けすることが私たちの使命。
白井織布工場
代表 白井 克昌
先代社長である父が大阪の大手企業を退職した後、奈良の織物屋での修業を経て創業。以来、50年を越えて織物業を営んでいます。私たちが目指しているのは、「本物」のものづくり。お客さまに「買って良かった!」と満足していただき、繰り返し選んでいただける製品こそが「本物」だと考えています。そのため主力製品である襖生地に加え、個性のある製品開発にも注力しています。…(続きへ)
続きを読む織物の新しい可能性を探り、
今までにない製品を生み出す。
日本テキスタイル株式会社
代表取締役 杉岡 清行
資材繊維織物の製造を手掛けるダイオ化成社関連の仕事を中心に農業資材の製造からスタート。当社は奈良の織物産業界においては歴史が浅いため、他社があまり扱っていないフィラメントや長繊維を中心とした農業資材用の織物を手掛けてきました。現在の主力製品は、デュポン社が独自に開発したタイベック®の素材を使った日よけシェード、『クールブラインド』です。…(続きへ)
続きを読む薄織物から厚織物まで
高度な加工技術で美しく染め上げる。
野村工業株式会社
代表取締役 野村 和敏
大正13年に創業し、私で3代目。後継者である息子の代には創業100年を迎えることとなります。昭和50年代頃までは、蚊帳を中心に製造。東南アジアやアフリカに輸出する蚊帳や、蚊帳織り技術を活かした目の粗い織物を中近東の女性用ベールとして生産していました。現在は織りから撤退し、染色などの加工が中心。薄織物から厚織物まで染色できるのが当社の特徴です。…(続きへ)
続きを読む奈良の伝統的な織物業を支えるのは、
人と人との信頼関係。
廣橋健織布工場
廣橋 健次郎
大正初期に祖父が創業。株式会社ヒロハシの分家にあたり、襖の基布やガーゼなどを中心に生産しています。前代表者であった父は事故で突然、他界。その当時まだ学生だった私が大学を卒業するまで母が経営を引き継ぎ、事業を継続することができました。祖父の代から織物以外に保険の代理店なども手掛けています。…(続きへ)
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